代表プロフィール


岡崎 充(おかざき みつる)

1955年福岡県北九州市生まれ
神奈川県茅ヶ崎市在住。妻一人、子供3人。
株式会社トレンド・プロ代表取締役

座右の銘は「デール・カーネギー」の生き方を目指す

大企業・中小企業のサラリーマン経験、起業経験、倒産危機を乗り越えた経験を
生かし、起業家や起業を目指す意欲ある方への支援を積極的に行っている。
大学生を対象とした就職・人生指導塾「岡崎塾」を運営。

■経営信条は「日本初」と「日本一」
■経営戦略は「ランチェスター戦略」と「戦わない経営」


若き日の岡崎はこんなでした…    自伝漫画 「むかしのおいらはアホでした」


1974年3月

福岡県立八幡中央高校卒業

1975年4月

福岡大学工学部電気工学科入学
クラス100名中女性は僅か。学生自治会クラス代表委員になり近隣女子大との合コンを企画、中州で実施。しかし自分は参加せず翌5月 同大学退学

1975年5月

ブリタニカ日本支社入社(19歳)
正社員だが完全歩合制であった。英語教材販売セールス。
ここで初めてセールスマニュアル、ロールプレーイング、応酬話法を学ぶ。
どうすれば人はモノを購入するか、という心理学を応用した販売システムである。
現在日本で行われているマーケティング、セールスの源は元を辿ればここに行き着くと思っている。
今考えてもこのブリタニカという会社のダイレクトマーケティングシステムはすごかった。
お客様が買わない理由「NO」は5つしかない。その「NO」それぞれに対してこちらは10個の弾(応酬話法)を持っている。人はだいたい2つの弾を投げれば次の「NO」に移る。その繰り返しをしていくと最後には、「YES」と答えるしかなくなる。恐るべき心理戦であった。
入社30日後に初めて契約を頂けた。その時の情景は今だに覚えている。契約書を頂いて玄関を出た時には本当に世の中が違って見えた。
3ヶ月目に月収30万円になる。大学新卒給与が4万円台の時代である。

1976年4月

中央大学理工学部入学(20歳)
月の仕送り2万円生活が始まる。下宿は3畳一間6,300円であった。
理工学部唯一の体育連盟、理工ボート部に入部。年間130日戸田の合宿所に泊り込み。
学生選手権にも出場した。3年夏から主将となる。
バイトは、時間効率を考えて家庭教師である。週2回で多い時は3件、週6日家庭教師をやった。
教える教科は数学。数学嫌いの高校2年生がクラスでビリからトップになった時は嬉しかった。
自分でやるより人に教えて成果を出させる方が得意かもしれないと当時感じた。
専攻は、マーケティング・多変量解析・数量化理論。
就職活動は、6社応募して5社に内定を頂く。

1980年4月

ヤマハ発動機(株)入社(24歳)
当時技術系で入社した場合、トヨタやホンダ含め地方の工場・研究所勤務である。
耐え難くヤマハに事務系入社。まずは全員営業ということで2ヶ月間の研修後東京支店城東営業所に配属される。本社の企画へ行きたかったがトップセールスになるしか行く方法が無いことを知る。
トップセールス目指して1に仕事、2に仕事、3、4抜かして5に女性という日々。とにかく有給休暇など聞いた事も無く夜討ち朝駆けでヤマハのシェアを上げる為に戦い抜いていた。

将来、起業の夢がありその為にも営業力が必須と考えていた。

83年下期東京支店(関東エリア)でトップセールスになる。
84年7月念願の本社営業部企画課へ配属。
このセクションでは課長以下5名のスタッフで国内の営業戦略全般の政策を構築する部署であった。
その領域は、商品戦略・宣伝・SP・チャネル戦略・社員教育・マニュアル作成・マーケティング調査・新規販売網構築など多岐にわたる。

86年国内営業戦略の柱に私が提案したVOIS(victory original information system=顧客管理代行システム・ボイス)が選ばれプロジェクトリーダーとなる。
これは全国のオートバイ購入者の顧客データをヤマハが代行管理しマーケティングや販売店サポートに活かすことが目的。大企業の場合この手の大掛かりなプロジェクトを行う前には本社内で関連部署の責任者達に承諾を頂く儀式がある。そのプレゼンの席上でPLである私は一つの賭けに出た。

まず資料は配らない。そして「マンガを使った紙芝居」でプレゼンしたのである。
これは大好評で評判となり満場一致で承認を受ける。会議終了後、他部門の部長さんたちから「岡崎君、今日の話はすごく良かった、これからの時代はマンガだな、あの方が判りやすい、いやー頑張ってくれ、○○部も応援するから・・・」 
多分この部長さんは、プロジェクトの内容よりも「マンガ」「紙芝居」という演出に感激してくれたんだと思う。でも人間と言うのはそういうものかもしれない。

母の死去をきっかけに退社(独立する覚悟であった)

1987年2月

某博多ラーメンフランチャイズ本部に転職(31歳)
本部管理部長、加盟店の募集・指導・宣伝・広報・マニュアル制作等を担当。
独立せず転職したのは、ラーメン店開業の資金がなかったからである。当時はバブル絶頂期で銀座に10坪のラーメン店を開くのに3000万円は必要だった。(九州の実家を売ってもそんなお金は無かった)
1年半後退社、いよいよ独立である。ラーメンではなく・・・。

1988年10月

株式会社トレンド・プロ設立(33歳)
知人の勧めでコーヒー豆の焙煎・販売業をやろうと思い創業。しかし私の営業力をしても他人様にはブルマン1袋、980円しか売れなかった。45日で即撤退。やはり「人のやらない、やれないこと」を事業化するしかない、と昔を思い出して「広告マンガ制作事業」を考えた。
まだ日本では誰もやっていなかったからである。新規事業のメリットはいくつかある。
その一つがパブリシティー効果である。「日本で初めて」ということで沢山のマスコミに取り上げて頂いた。
日経新聞・日刊工業新聞・日経ベンチャー・夕刊ゲンダイ・ビッグトゥモロー・ドリブ・・・。
当時テレ朝でトゥナイトという番組があった。秋元康さんのコーナーで30分ほど紹介された。
この効果は絶大で、翌日から会社の電話は鳴りっぱなし。全国から仕事の依頼ばかりではなく、スタッフや社員の希望者、はたまたこの事業はオレの方が先に考えていたなんて伝えてくる方もいました。

パブリシティというのは面白いもので、記事が記事を呼びお客様を呼び、スタッフを集める効果があった。
この時にマスコミへのアプローチ、対応を習得。
後日電通の友人に聞いたところ、広告効果は2000万円と言っていた。

3年後には同業者が10社ほどになり、彼らもマスコミに登場するようになる。7割方の同業者はお伺いを立てて挨拶に来てくれ「仲良くやりましょう」なんて言って一緒にお酒を飲んだりもしていました。
発注いただくクライアントさんも多種多様で毎月5社ほどの新規取引先が増えていた。1年目に50社、2年目には100社というペースである。社員を増やし対応していたが好景気がずっと続いたわけではない。
そのうちバブル経済が崩壊し弊社も危機感を持つ。その頃から増え始めたのが官公庁からの依頼であった。
千葉県の環境白書のマンガ版は94年から5年間制作され、県内の小中学校に全校配布された。
環境庁から出ている「環境白書」のマンガ版は出版物として92年から2001年まで8冊出版された。
日本銀行からは、92年、98年に金銭教育マンガ、99年にアニメ版を受注、これも全国の小中学校に配布された。

一番辛かったのは、1998年である。営業会社なのに営業マンが全員辞めてしまった。うーん、倒産するかもと正直考えた。
やはり売上の前に品質だろうと社内制作者を強化していった。デザイナー、ディレクター、漫画家である。
もがいている中で会社のホームページからポツポツと仕事が舞い込んでくるようになった。
2000年頃からインターネットの普及が加速化してくる。不思議なものである。ホームページが営業マンの働きをしてくれるのである。2018年現在は毎日の様にホームページから新規の問い合わせ受注が入ってくる。 その30%が受注に至る。現在も営業マンはいない。広告宣伝費もゼロである。
この好循環が始まってから収益性が極めて良くなった。

2005年10月

大企業・中小企業のサラリーマン経験、起業経験、倒産危機を乗り越えた経験を生かし、起業家や起業を目指す意欲ある方への支援を積極的に行っている。大学生を対象とした就職・人生指導塾「岡崎塾」を運営。

2009年10月

第21期決算、過去最高の売上額を達成。(前年対比112%、5年前対比178%)

2012年6月5日

銀行からの借入金を完済。「広告費ゼロ、営業費ゼロ」で無借金経営となる。

2014年4月

全国フランチャイズ展開開始。FC第1号 アドマンガ静岡業務開始。

2015年4月

FC2号 アドマンガ愛知業務開始。

2016年

空前のビジネスコミックブーム到来。

2017年

弊社マンガ編集作品180作の中で7冊が10万部突破。
「マンガでわかる統計学」(オーム社)、「マンガでよくわかる教える技術」(カンキ出版)、「まんがでわかる伝え方が9割」(ダイヤモンド社)、「マンガでわかる会話がとぎれない話し方」(すばる舎)、「マンガでやさしくわかるアドラー心理学」(日本能率協会マネジメントセンター)、「ザ・ゴール コミック版」(ダイヤモンド社)、「マンガでわかる!マッキンゼー式ロジカルシンキング」(宝島社)


メッセージ

時代の半歩先を進み続ける

TREND・PROという社名は、英語の「trend」と「pro」を併せた造語です。「時代の半歩先を見て新しいビジネスをプロデュースする会社」との願いを込めて命名しました。また望遠鏡のようなロゴマークは、コロンブスがまさに新大陸を見つけようとしている状態をイメージして描いてみたものです。 

1988年創業当初、マンガという媒体に抵抗を持っている方が、社会にまだまだたくさんいました。その頃私がよく受けた質問で「何歳くらいの人からマンガを抵抗なく読むんですか?」というのがありました。 

その時、私は学園紛争を例に出し「昭和44年東大安田講堂の中で、学生達は左手に朝日ジャーナル、右手に少年マガジンを持って立てこもったでしょ。だから常習的にマンガを読む最年長は1947年生まれの団塊の世代です。それ以降は全てマンガ大好き世代です」と、答えていました。 

その1947年生まれの方々が2007年には60歳定年を迎えました。私の理論が正しければ、60歳定年制の企業のトップから新入社員まで全員マンガが好きでマンガで感動した経験がある、ということです。

啓蒙から社会のインフラへ

ビジネスや広告の場でなぜマンガを活用すると効果があるのか?という説得や啓蒙を行う必要がなくなりました。 
それは27年という時が解決してくれたからです。現在弊社が取り組んでいる主な事業は、

■ 広告漫画制作事業 
■ 出版漫画制作事業 

ですが、これからは世の中のあらゆる情報がマンガに変換されていくでしょう。その理由は、人間は文章や数字の羅列よりもマンガという物語を読んで情報を得る方が楽しく、そして楽だからです。伝達媒体としては既存の紙やデジタルに加え、スマホやタブレットの爆発的な普及により、YouTubeなどの動画投稿サイトやFacebookなどのSNSも大きく発達しました。今や、誰でも手軽に情報発信することができる時代が到来しています。 

このマンガ市場は今後さらに大きく拡大していくでしょう。 

また、近年では、ベストセラービジネス書のコミカライズが活発に行われています。それだけ、マンガへの需要、言い換えれば期待が高まっているということです。ビジネス書の情報をわかりやすいマンガに変換することで、より多くの人々が手軽にそのエッセンスを得ることができるようになっています。 

日本人にとって親しみやすくドラマ仕立てでわかりやすいマンガという表現手法を使って、社会を豊かに楽しくすることが、私たちのミッションです。 

私たちは、世の中の情報を漫画に変換し続けていきます。